レーベルヒストリー「ブルーノート(BLUE NOTE)」のページです |
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ブルーノートの歩み | ![]() |
▼1939年アルフレッド・ライオンによってニューヨークにて設立。初期はブギウギ・ピアノからニューオリーンズ・ジャズをリリース。第1回発売は1939年「ミード・ルクス・ルイス」「アルバート・アモンズ12インチSP。このころシドニー・ベシエ「サマータイム」がささやかなヒットをはなつ。1940年に盟友フランシス・ウルフが合流、二人三脚で1966年リバティに買収されるまで運営する。 ▼40年代前半はブルーノートにとっても第2次世界大戦の影響で休止状態となる。43年にライオンが戦線より復帰し活動再開。 46年頃まで アイク・ケベックを中心に中間派的なリリースが続く。 ▼47年ごろよりアイク・ケベックの提言によりモダン・ジャズ(ビバップ)の録音が始まる。ジャズ史に燦然と輝くブルーノートが本格的にスタート。特に不遇時代のモンクの録音が貴重だ。後にモンク・クラシックスとなる曲はほとんどこの時期に録音されている。 ▼53年10インチついにハード・バップの初期の模様をとらえた5000番台シリーズが始まる。これからが本当の意味においてブルーノートのスタートと言えよう。ここでデビューしたハード・バッパーは枚挙にいとまがない。ホレス・シルバー、ハンク・モブレー、ウイントン・ケリー、クリフォード・ブラウンなどなどだ。 ▼54年はブルーノートにとって画期的な年となった。まずルディ・ヴァン・ゲルダーとの出会いだ。ジャズの音の代名詞といえばこの人である。この独特のサウンドもブルーノートの魅力の一つだ。また2月には例の「バードランドの夜」を録音。そしてリード・マイルスがブルーノートのジャケットデザインを始める。ここにブルーノートの黄金時代が到来する。 ▼55年ハード・バップの代名詞となる1500番台がスタート。こののち66年にリバティに買収されるまで妥協を許さないライオンのプロデュースにより名作が次々と録音される。 ▼67年アルフレッド・ライオンついに引退する。やはり大手での制約下での活動は無理であった。この後フランシス・ウルフが一人で運営。 ▼71年フランシス・ウルフ死去。これによりブルーノートというレーベルは終焉、この後の安易な企画はもはやブルーノートとは呼べないものになっていく。 ごく簡単なブルーノートの歩みです。ジャズを聴くならまずブルーノートといわれるほどモダン・ジャズの代名詞のようなレーベルも初めは一ジャズファンの情熱だけで始まった。しかしこのレーベルの最大の特徴はプロデューサー「アルフレッド・ライオン」の妥協を許さない完全主義ともいえるこだわりによって貫かれていることである。 またフランシス・ウルフという実務にすぐれたパートナーがいたことも成功の原因だろう。 その時々において最高の協力者を得たことだろう。初期アイク・ケベックのタレント・スカウトにより多くのビッグ・ネームの録音がされたこと。ライオン理想のサウンドを作る上で欠かせなかったルディ・ヴァン・ゲルダーとの出会い。ブルーノートの秀逸なジャケットデザインを手がけたリード・マイルスの参加等々。様々な要素が絡み合いジャズ史上最高のレーベル「BLUE NOTE」が誕生したのである。 |
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超簡単なオリジナル盤鑑定法 | ![]() |
基本的に住所の表示で見分けます。 1.5000番台〜1543番ぐらいまでLexington Ave,NYCで溝あり 2.1544〜4014番ぐらいまで63rd NYC 溝あり 3.1544〜1570番台はNYC23となる場合もある。溝あり 4.4016〜4074番迄ぐらいは63rd NYCにRマークがつく。 5.4075〜4250番台はNew York USAで溝なし 6.以降はA Division Of Liberty Records なおこれは一般 例でオリジナル盤の見分け方にはまだ色々な条件があるそうです。 |
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ブルーノートを読む | ![]() |