念願のステレオが買える日がついにやってきた。高校受験合格のお祝いに父がお金をだしてくれた。
といっても、アンプは兄のお古、スピーカーはフォスターの103(10センチ・フルレンジ)を兄と二人で作った自作の箱に入れたもの。プレーヤーだけ買ってもらった。
ちょうど兄が東京に帰るのでそれについていって秋葉原で買うことにしたのである。二泊三日の東京行き。嬉しくてしょうがなかった。急行の自由席に乗り込み東京へ向かった。
国分寺の兄のアパートに荷物をおき早速吉祥寺「ファンキー」へ。ドアを開けると同時に音の塊が僕を襲う、地下に降りていくとそこに広がる異様な光景、奥に鎮座するパラゴン。ただただ圧倒されるだけであった。
その夜兄の部屋で聴いたジャズはいまでも忘れられない。まさしく東京の音がした。
次の日ションペン横町の鯨カツ屋で夕食。永島慎二の「フーテン」の風景が目の前にあった。
そのあと「ピット・イン」で本田竹彦(あえて竹彦と書く)のライブをみる。生の迫力。本当にそこでジャズをやっているのである。興奮して眠れなかった。
そして今回の最大の目的秋葉原。兄の案内でテレオンへ。すべて兄にお任せで一台のプレーヤーを購入。僕には宝物に見えた。とりあえず兄のアパートで接続音を出す。感動した。
兄に借りたジーパンを脱いで学生服に着替えて東京を後にした。
吉祥寺「ファンキー」でのパラゴンからの大音量のジャズ、新宿ピット・インでのライブ、ションペン横町の鯨カツ屋。秋葉原の電気街。そして国分寺のアパート。中学生にとって恐ろしいほどのカルチャー・ショックだった。
めくるめく三日間の体験だった。
お茶の水「ディスク・ユニオン」で買った2枚のレコードとプレーヤーを持って僕は松本に帰った。
早速レコードを聴いてみたが、兄のアパートで聴いた音はでてこなかった。
それからの3年間「東京へ行って、アパートを借りること」が僕の人生の目標になった |